東海湖について

 今から約650万年ほど昔、知多半島地域は南部から土地が沈み始めました。この沈んだ土地にまわりから川が流れ込み、礫層(石ころの地層)を堆積させました。その後も土地は沈み続けてそこに水がたまり,琵琶湖の何倍もある大きな淡水湖ができていきました。この湖を「東海湖(とうかいこ)」と呼びます。東海湖には、まわりから流れ込む河川によって運び込まれた砂や泥が堆積していきました。これらの河川は、現在の木曽川や矢作川、豊川の前身です。東海湖がどのような湖であったのかは、東海湖に堆積し、残された地層から知ることができます。知多半島の丘陵の中身は、大部分がこの地層「常滑層群(とこなめそうぐん)」でできています。常滑層群は、まだあまり固まっていない地層で、常滑焼きの原料となる粘土や砂、当時の火山の噴火によって飛んできた火山灰、当時湖のまわりに生えていた木からできた亜炭などが積み重なってできた地層です。地層が柔らかいため、ゆるやかな丘陵をつくっているのがその特徴です。常滑層群には、淡水性の巻き貝やヒシなど湖に住む生物の化石や、湖のまわりに茂っていた植物の葉や実などの化石がたくさん含まれています。常滑層群と同様に東海湖に堆積した地層は、名古屋市東部から瀬戸、岐阜県東濃地方にかけての瀬戸層群、三重県の鈴鹿山麓に分布する奄芸層群などがあり、まとめて「東海層群(とうかいそうぐん)」と呼ばれています。このように東海湖は大変大きな湖だったのです。東海湖は、沈む中心を北方に移動させながら南部から干上がっていき、知多半島地域は約200万年ほど前までに全域が再び陸となりました。東海湖と同じようにかつて大きな湖ができていた土地は、当時の西日本にはいくつもあります。そのうち、琵琶湖は北部に移動しながら現在も存在していますが、大阪湾は海となってしまいました。そして、東海湖は伊勢湾などがそのなごりであると言うことができますが、一度は完全に消滅してしまいました。当時は、気候も環境も現在とはかなり異なっていて、東海湖に堆積した常滑層群から見つかる化石とつながりをもつ生物は、現在は琵琶湖で固有種として見つかる他は、中国や北米などの大陸地域でしか見られません。

もどる
inserted by FC2 system