礫浦海岸について

 知多半島南部の海岸には、今から約1600万年前、このあたりが海に覆われていた時代に海底にたまった砂や泥が固まってできた、「師崎層群(もろざきそうぐん)」と呼ばれる地層が、よく露出しています。その中で、内海東方の礫浦(つぶてうら)海岸では、まわりにある師崎層群の地層とは異なる岩石でできている巨大な礫(れき)が、いくつもころがっているように見えます。古い伝説では伊勢湾の向こうから飛んできた石であるなどと考えられていたようですが、よく観察してみると、どの礫も地層の中に入っているので、師崎層群中にはさまれる礫岩層(れきがんそう)であることがわかります。この礫をつくっている岩石は三河地方でよくみられます。師崎層群の地層がたまった時には、その岩石が海底や陸地をつくっていたので、そこから崩れて地層の中に入ったものだと考えられます。普通このような礫は、地層のたまり始め、つまり、いちばん下にあるものなのですが、ここでは、師崎層群の中でも、かなり上のほうに入っています。この原因は、いろいろ考えられます。師崎層群がたまっている途中で、海底地滑りが起きて生じたものと考えられていましたが、最近、津波によってつくられたものではないかという考えが発表されました(山崎・志岐,1988)。


礫浦海岸(1999年撮影)

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