岩滑・矢勝川流域の地形と地質
岩滑小学校−矢勝川−半田池
 矢勝川は、知多半島を流れる阿久比川の支流の一つです。西方の半田池を水源として半田市と阿久比町の境界を東に流れ、岩滑東町で阿久比川に合流しています。「ごんぎつね」の舞台で、兵十がうなぎを獲っている川でもあります。矢勝川の流域は、標高数10mほどの緩やかな丘に囲まれた東西に細長い平野で、現在では水田として利用されています。「ごんぎつね」にも登場する彼岸花を、市民の手により1990年から植栽を始め、現在では名所として広く知られるようになりました。毎年9月下旬の秋の彼岸になると東西2kmにわたり300万本の彼岸花が咲いています。
 半田池は、半田市、阿久比町、常滑市にまたがる農業用のため池です。知多半島には大きな河川がなく、稲作等の農業用水の確保に大変苦労したので、昔から多くのため池が作られてきました。半田池は、1695年(元禄8年)、海岸部にできた干拓新田に水を引くために築造されました。小さな山や谷が連なる丘陵地につくられたため、東側の谷の出口に盛土し、水の流れを堰き止めて水をためる形になっています。もともと自然に流れていた矢勝川を水路として利用したため、最も西の奥にある半田池が水源となっています。「おぢいさんのランプ」の舞台でもあります。
 中山は、矢勝川の中ほどの南側(右岸)の、標高15mほどの低い段丘(半田層)です。中山には、16世紀中頃の戦国時代から江戸時代まで中山城というお城があり、中山氏という武士が住んでいました。現在は新美南吉記念館、童話の森に変わり、お城の跡は残っていません。
 権現山は、中山の対岸にあたる北側(左岸)の阿久比町植大地区にある、標高40mほどの小さな丘陵(東海層群)です。権現山には、「五郷社」と呼ばれている歴史ある神社があり、昔から地元では「権現さん」と親しみを込めて呼ばれていました。「ごんぎつね」の「ごん」は、権現さんの「ごん」であり、今の阿久比町植大付近の小山に住んでいたキツネということです。

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