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ごんぎつねの1シーン

昭和8年に北谷墓地に移された六地蔵

 六地蔵の陰に隠れていたごんぎつねには、中山城の屋根瓦は見えたのでしょうか。
 六地蔵と墓地は、当時の集落と同じ標高10mほどの半田層からなる段丘の上にありました。墓地の南側と西側は、浅い谷に面した段丘崖になっています。中山城は、ここからほぼ真西に1kmほど離れた標高10〜15mほどの北側が開けた小さな段丘の上にあります。この2地点の間には、現在の岩滑高山町の標高15〜20m以上の丘陵があります。当時の丘陵には森の木々も茂っていたでしょうから、中山城が三階建くらいあったとしても、森の木々から瓦屋根が少しのぞいているかどうかくらいです。六地蔵が墓地の中ほどでなく、光蓮寺から南下して墓地に至る「そうれん道」の集落を過ぎてすぐの墓地の入口付近なら、丘陵の北縁をかすめて中山城が見えた可能性があります。「そうれん道」は墓地に至るだけでなく、墓地の中にも続く道で、そこにも彼岸花が咲き続いていたのでしょう。
 お城が中山城ではなく常福院(旧岩滑城)のことならば、墓地と同じ段丘の北縁で距離も500mくらいなので、平屋建てでも民家より少し高ければ屋根瓦はよく見えたことでしょう。物語では岩滑城には触れられておらず、はるか昔に廃城とされ常福院になっているので、あえて持ち出す意味はないと思われます。(2018.3.18 Wen Lee)

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